やきものネット
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日本の政治の頂点に立った人物が、今は「半泥子の再来」とまで謳われている。元内閣総理大臣の細川護煕さんは、茶陶専門の陶芸家として、多くのやきものファンを魅了しているのだ。元総理大臣が陶芸家に転身されるのも、話題性はもちろん、その注目度も俄然大きい。今は晴耕雨読の精神の元、陶芸に没頭する日々を送る細川さん。神奈川県・湯河原の工房に、イーワイネット代表で陶芸コラムニストのロバート・イエリンさんが伺った。


陶芸の師・辻村史朗

イエリン(以後 イ):まず初めに、熊本出身の細川さんに、熊本の小代焼を是非紹介して頂きたいですね。例えば、岡山県民はやきものが好きで、岐阜県民もやきものが好きだけど、熊本県民は全然地元のやきものをアピールしないのです!

細川(以後 細):熊本人は宣伝が下手と云いますか、地味なんですね。

イ:良いものを作っているのに、是非サポートしてください。

細:小代焼も、もともと細川藩のお庭焼でした。細川藩が熊本に移る前は、藩は九州の小倉にありまして、そこで三代藩主・細川忠利が始めたのが上野焼というものです。小代も上野も、同じく地味なんですね。ちょっと私の趣味に合わなくて。(笑)小鹿田焼や小石原焼も、細川藩の影響を受けています。

イ:でも、良い仕事していますよ。釉薬の研究など。そもそも、やきものとの最初の出会い、または始めるきっかけはなんだったのでしょうか。

細:今から6年くらい前に、政治家をやめて、ここ(神奈川県・湯河原)に帰っていました。ある日、友人に招かれ、銀座で開催されている彼の個展を見に行きました。彼は白洲正子さんの娘婿で、彼の作品を見たら、陶芸が楽しそうに見えたのです。

その前までは、陶芸に興味はあったのですけど、とても難しいものに思えまして。なにせ、登り窯のイメージしか無かったのです。その個展を見て、彼に「大変でしょう」と聞いたところ、「そんなことないよ」と返され、「自分の工房を見に来ないか」と聞かれ、とりあえずアトリエを見に行ったのです。電気窯で焼いていて、思ったほど難しそうではなかったのです。スペースも必要としてなくて。これなら自分でもできる、と思ったのですね。

イ:その前は、小代焼や骨董、お茶の世界に触れる機会はあったのですか。

細:まったく触れていないですね。だから、やきものとの最初の出会いはちょうど6年前ですね。

イ:そうですか。つい最近ですね。

細:えぇ。友人のアトリエを見せて貰ってから、やきものの雑誌などを見ながら、私が作りたいものを現代の作家さんで誰が作っているかを探したところ、奈良の辻村史朗さんが出てきましてね。色んなやきものを見ながら、やはり、「桃山のモノ、そして高麗・李朝のモノが作りたい」と感じて、それに一番近いものを作っているのは誰かと。それが辻村さんでした。そしてもう一人が小林東五さんでした。

イ:なるほど。

細:そこで、いきなり辻村さんの所に電話をかけたのですが、「弟子にしてくれ」と云っても、辻村さんは変わった人だから、きっと断られると思い、とりあえず「私は細川という者ですが、是非あなたの作品を見せて貰いたい」と云いました。丁度電話をかけた日の二日後に奈良の薬師寺の講堂で起工式があり、それに出席する為、奈良に行く予定でした。その時にお邪魔したいと辻村さんに伝えしました。「じゃー、迎いに行ってやるよ」という話になって。初めて対面した時、顔もよくわからないし、ポルシェに乗っていて、ヤクザみたいなおじさんが突っ立ってたから、私はとてもビックリしたのですよ。(笑)

イ:運転もすごいね。(笑)

細:そうそう、溝なんかにしょっちゅう突っ込んだりして。(笑)まぁ、それから押しかけ弟子になって、毎日通うようになりました。

イ:細川さんが辻村さんの弟子であることはあまり云わない、書かない方がいいですか?

細:いやいや、もうみんな知っています。(笑)ただ、向こう(辻村さん)は弟子だとは思っていないですけどね。

イ:辻村さんは、弟子を取らないスタンスを持っていますね。息子さん二人(辻村唯・辻村塊)も弟子みたいだけど、正式な弟子ではない。ただ、幼い頃からお父さんの作陶姿をずーっと見ていました。

細:そして私も、辻村さんが轆轤を回しているそのすぐ横で、一年半も轆轤を回していたのです。


イ:毎日ですか?

細:殆ど毎日。朝六時ごろから夜七時くらいまでね。

イ:ずいぶん熱心でしたね。

細:えぇ。

イ:轆轤は初めてでしたか。

細:はい、辻村さんのところで初めて轆轤を回しました。それが、ちょうど六年前の四月の八日からです。なんで覚えているかと云いますと、それは落成の日で、お釈迦様の日。その日に初めて轆轤を回しました。

イ:それは、めでたい日ですね。

細:えぇ、めでたいです。でも、本当に、辻村さんの工房は、足の踏み場も無いような、茶碗の欠片があっちこっち転がっているでしょ。とても散らかっています。そして、よく「ホンマにしつこいおっさんやな」と云われました。(笑)そして、「アカン、どかせ」などね。

イ:さすが辻村さん。(笑)辻村さんと一緒に窯を焚いたりしたのですか。

細:えぇ、しょっちゅう焚きますからね。でも電気窯ですから、大したことないですよ。

イ:ご自分の作品も窯で焼きました?

細:えぇ、焼きました。釉薬かけて、削って。だけどまぁ、汚いのに閉口しましたね。例えば手を拭く雑巾なんか、もう何十年も洗って無いような、もう真っ黒になっていて。(笑)

イ:さすが、自然を愛すというか。(笑)

細:そうそう、自然ですね。その雑巾で辻村さんは平気で顔を拭いたりしていました。(笑)それでね、轆轤を回す時に水が必要でしょ。だからその轆轤の横に水を入れる器があって、そこらへんの雨水を集めたものかどうかわからないですけど、それに苔が生えていたり、蛙が泳いでいるんですよ。(笑)

イ:ははは、それはすごい。(笑)

細:もう、野生の暮らしですからね。

イ:まるで縄文時代ですね。

細:本当に、あまり縄文時代と変わらないかしれませんね。(笑)とにかく、そこでずーっと作陶して、一年やった時に、ある朝、「もう来んでもええやろ」、と辻村さんが云ってきました。卒業証書を貰ったわけですよ。「後はどれだけ窯を焚いて、経験を積むだけ」だと。私は正直嬉しくてね。

イ:でも、とても大切な事、良い事を辻村さんから学んだじゃないですか。

細:えぇ、それは学びました。他の陶芸家のところに行ったらね、「やっぱり、この人は総理大臣をやっておられた偉い人で、多少お世辞を云わんといけない」と皆思いますでしょ、普通の作家は。下手くそなものを作っても、「なかなか良いもの出来てますねー」と云いますよ、普通は。でも、辻村さんはそう云う人じゃないですから、全くの野人ですから、「もうアカン、どかせ!このアホなおっさん」と、そんな事しか云わないのです。私に向かって「アホなおっさん」と云う人なんて、本当に珍しいですよ。(笑)

イ:それは、そうでしょう。(笑)

細:だから、辻村さんのことを知っている人は、「細川さん、良く一年半も辻村さんのところで頑張ったね」と云われます。そこで寝泊りもしてね。あの家も、辻村さんが若い頃に、一人で建てた家で、そこら辺が穴だらけで。夜中にコウモリが飛んで来ますし。蛾も入ってくるし、もう虫だらけですよ。大きな犬が二、三匹いて、猫も二十匹くらいはいましたね。毛が舞っていました。

イ:永田町とは全然違う世界ですね。(笑)

細:そうそう、永田町とは全然違う世界。もう、山の世界です。(笑)

イ:そんな世界に突然入って、自分が想像していたやきものの世界の楽しさや良さには近いものがありましたか。

細:それは、ありましたね。でも先程の話ですが、他で轆轤を習ったら、絶対こんなには上手くなっていなかったと思いますね。ただひたすら轆轤を回し、数を挽きましたからね。

イ:また、技術的な事だけでなく、辻村さんは他の作家とは違う、深いスピリット(精神)を持っていますから、それも学べる良い経験だったのではないでしょうか。

細:そうですね。だから、精神的にも、ピタッと合ったと思いますね。辻村さんも、私なら見込みがあると思ったのかもしれませんね。

イ:他の作家さんと、同じような修行はしましたか。

細:してないです。他の作家へ、二、三回は習いに行きましたが、それも一晩泊まりか、二晩泊まり程度で。例えば、信楽の杉本貞光さんのところでは、楽や信楽を教えて貰いました。小林東五さんのところでは、高麗ものの作り方を教えてもらいました。でもそこでも、基本的な轆轤が出来ていますから、後は簡単なんですね。釉薬の掛け方や、窯の焚き方もありますが。唐津の西岡小十さんのところでもそうです。


工房にて




茶陶に、光悦と長次郎を求めて

イ:教わった作家さんの全員は、皆茶陶ですね。最初から食器でなく、茶道具を作りたかったのですか。

細:そうですね、基本的に私は茶陶です。お皿やぐい呑みも作っていますけども、あくまでもお茶の懐石で使う範囲の物であって。

イ:と云う事は、昔の光悦や長次郎のものも見たり、感動したりしましたか。

細:私が目標としているのは、やはり長次郎であり、光悦であります。私は楽茶碗をたくさん作っていますけども、楽茶碗とは呼んでいません。黒茶碗や、赤茶碗と呼んでいます。と云いますと、二代目以降のものを私は問題にしていないのです。長次郎だけが問題なのです。二代目以降の茶碗は全部ピカピカしているでしょ。いわゆるカセた感じ、鉄錆びの感じが無いのです。あくまでも、長次郎を越える事を目標にしていますので、私は楽茶碗ではなく、あえて黒茶碗と名付けているのです。また、他に目標にしているのが志野、瀬戸黒と織部です。先日の三越の展覧会で全部売れてしまい、今はイエリンさんにお見せ出来ないですが。(笑)その五つですね。目標にしているのは。

イ:やはり、桃山時代のものを目標にしているのですね。

細:えぇ、それと井戸ですね。

イ:どのような精神や、どのような事を考えながら茶碗を作るのですか。

細:桃山時代の人たちは、光悦や長次郎でも、心の持ち様が素晴らしいと思います。光悦という人は、ご存知かと思いますが、すごくお金持ちの方でした。それでも、生活は物凄くシンプルなものでした。二十歳ぐらいの時から、大きな屋敷に住もうと思えば住めたのに、そんな屋敷には住まずに小さな家に住んで、お手伝いする若者を一人だけ身の回りに置いて、着る物も本当に僅かなものだけで。食べるものも贅沢しない。本当に質素でした。彼が作った茶碗で「乙御前」や「不二山」などありますが、そのようなものを見ますと、もの欲しそうな所が感じられません。最近の人の茶碗を見ますと、名誉が欲しい、お金が欲しい、そのような感情が感じられるのです。しかし光悦の茶碗は、そのようなギラギラしたところが全く無いのです。長次郎の茶碗でも、勿論そうですけど。そのような精神性を感じますね。桃山の志野も織部もそうです。しかし、志野と瀬戸黒は、本当に桃山時代初期の頃のものに限ります。桃山という時代も短い時代でしたが、それらの茶碗が輝きを放っていたのも初めの10年くらいではないでしょうか。作家の喜びや怒り、苦しみや悲しみが茶碗に出てくるのですね。後のものは、ただカタチを真似ているように感じられます。

江戸時代のものになりますと、仁清や乾山の京焼や、あるいは高取や薩摩など、ただ真ん丸で、洗練はされているけども、綺麗だけど、訴えてくるものがないように思います。だから、瀬戸黒みたいな、野武士のような、どんぶりのようなものが好きですね。

イ:どっしりと、高台も低いですしね。

細:そう。カタチもなんの決め事もなく、豪快に作られた。それが面白い。私も、まだそこまでの域に達していないのですが。

イ:それは、六年でそこまでは、ねぇ。(笑)でも、茶碗のことも、その六年間で勉強されたのですか。

細:えぇ、そうです。

イ:さすが、随分と熱心ですね。ちなみに、光悦や長次郎の茶碗からお茶を頂いたことはありますか。

細:えぇ。あります。

イ:どのような気持ちになりましたか。

細:なかなか、手から離したくないですね。つい最近、光悦の「乙御前」から飲みましたけど、良い茶碗でしたねぇ。バランスといい、色といい、感触といい。

イ:相当感動されましたね。

細:えぇ、感動しました。長次郎のものは、幾つか飲ませて頂きました。例えば、MOA美術館の「あやめ」とか、茶碗三つか四つは飲んでますね。



茶道について

イ:やはり、お茶碗を作るということは、お茶の勉強もされているのですか。

細:お茶会は嫌いなんです。うん。家にある丘にお茶室を建てましたが、そこで自分でお茶を立てて飲みます。親しいお友達などを呼んでね、自分で作った茶碗で飲むのです。お茶碗を回したり、左足から茶室に入るとか、そんなつまらないことは一切関心がありません。そのように、型にはまったお茶は嫌いで、女の人がみんな綺麗な着物を着て大きな広間に坐ってる形式ばかりのお茶会は、行く気がしません。辻村さんも同じ考えです。あぐらをかいて、作法抜きのお茶を愉しむのが好きなんです。

イ:昔の政治家や経済界の偉人達はみな、お茶を愉しんでいました。今の政治家たちがお茶をやるようになったら、世の中が変わると思いますか。

細:思います。政治家も、経済界の人たちも、松永耳安など、お茶をやっていましたが、私も彼等のお茶には、必ずしも賛成ではないのですね。お道具重点主義で、お金に任せてお道具を買っていました。それは、本当のお茶では無いと思いますね。そういう意味で、私は光悦が正しいと思うのですが、道具はそこらのものでやって、主客との心の交流を愉しむ。それが本当のお茶だと思います。

イ:精神的な部分ですと、長次郎は確かにお茶碗を作るのには長けていましたが、長次郎を指導し、芸術へ導いたのも利休だと思います。

細:そうですね。アートディレクターとしては素晴らしい人だから、私は利休をすごく評価します。茶室なんか、二畳か三畳の狭い空間に、あんなに素晴らしい世界を作り上げるのですから。それは、路地を入ると一つの世界があって、またそこから入って行くと別の世界があって。それはすごい事だと思います。大変なアートディレクターですね。例えば竹を切って花を生けると、それが一番良いものになります。利休の見立てを越える人は居ないですね。もう見立ては利休で終わった、と云っても良いと思います。

イ:お話が変わりますけど、自分でやきものを作る時、楽しいことと苦労することはありますか。

細:あまり技術的なことで苦労する事はありません。高台を削るのも、一番楽しいと思います。楽、志野、瀬戸黒、やはり高台が勝負です。伊羅保や粉引は、もちろん高台も大事ですが、そこまで意識はしません。私は殆どのものをやっていますけど、やっていないのが備前と萩くらいですね。

イ:その理由は?

細:備前は、あまりお茶碗がないんですね。

イ:「ただいま」などありますが。

細:そう、あれくらいでしょう。殆ど酒器や鉢だと思います。茶陶からは少し外れる気がします。

イ:でも萩は茶陶です。

細:そうですね。ただ、萩はやろうと思えば簡単です。井戸作っていますから、釉薬をかけるだけで。

イ:そして大道土を使ってね。素材はいつもどうされているのですか?

細:それぞれ現地から調達して取り寄せています。ただ、どの素材を取るかに苦労しました。例えば、信楽をやっていますけども、信楽の陶芸店に信楽の土を頼みますよね。確かに送ってくれるのですけども、タヌキしか作れないような土が来たりするから、それが問題なんです。私が狙っているのは、室町や桃山の、古信楽の緋色がでるような土であり、それが出ないと意味が無いと思います。だから、土に対しては、辻村さんよりかは探していると思います。辻村さんは、そこら辺の土で焼きますから。例えば井戸なら、やっぱり高麗ものの、鶏龍山のものが一番だと思います。あっちが本場ですから。それがなくては、やはり名碗「喜左衛門」みたいなものができません。だから、井戸の土は全部韓国から取っています。信楽でも、今使っている土に行き着くまでに、時間が掛かりましたね。


茶室


土と田園生活

イ:パリや日本橋三越の展覧会が大成功と聞きますが、どうですか。

細:多くの人に関心を持って貰いまして。「魔法の手を持っているんじゃないか」とも云われました。(笑)魔法使いと呼ばれたり、フランス人の発想はすごいと思いましたね。でも、それほど驚きはしません。一生懸命やれば、こんなもんだろうと思っていました。

イ:もっと、外国で個展をやりたいですか。

細:ニューヨークやボストンなど、色んなところから云われていますが、今は忙しくでお断りしています。先日、長野に穴窯を作ったのです。二月中旬に、焚きに行きますし、忙しいですね。

イ:こちらではどのような窯を使っていますか。

細:今の電気窯と、灯油と炭を併用している窯と、楽を焼く窯ですね。その三つです。

イ:お弟子の数は?

細:私の息子ともう一人いますが、私の息子はそろそろ独立して九州へ帰ります。息子が出て行くので、息子の代わりに、青年が昨日から一人入りまして。

イ:一日中、朝から晩までやきもの漬けですか。

細:いや、私は必ずしもやきものだけをやっているわけでもないのです。若いころから、晴耕雨読の暮らしに憧れていまして、晴れた日には畑を耕し、雨の日は本でも読む、そのような暮らしです。昔から、中国の詩人、例えば李白とかがしていましたが、そのような暮らしに憧れ、彼らの詩を読んだりしました。田園生活に憧れていて、老人になったら田舎で暮らしたいと思いまして。この家の近くにも畑がありますし。

イ:そうですか。ここからどのくらいの距離にあるのですか?

細:歩いていけますよ。車で7,8分程度のところにあります。色んなものを作っています。美濃の荒川豊蔵さんだって、畑を作って、また陶芸もしていました。

イ:伊賀の藤岡周平さんも、半年は畑仕事、半年は作陶されています

細:そうですか。

イ:実は四月から、私のギャラリーで藤岡さんの展覧会をやりますが、農業をもやっているせいか、作品から自然のリズムがよく出ていますし、作家には必要だと思います。

細:必要だと思いますね、共通していると思いますね。畑仕事は、自然と向き合う事だし、陶芸も土と向き合う仕事です。私はここでも芝刈りなどはしますけど、庭の木の手入れもすごく大事だと思います。そう云う事をやって、本を読んで、暮らすのです。ちょうどここ(庭)の木が枝垂れ桜になっているでしょ。鳥がたくさん飛んできたり、林檎や蜜柑を鳥にやったり、日向ぼっこして遊んだり、のんびりした気分になります。大らかな気分、と云いますか。

僕の友達の小泉淳作さんがね、云っていました。「やきものをやっている時は、無心になれるのだけれど、絵を書いたりすると、こんやろ、あんなやろ、と感情的になるのです。だから、やきものはね、素直な気持ちになるかもしれませんね。

イ:いいですね。それはとても必要な事だと思います。それにしても、ここで桜を眺めながらお酒でも呑んだら最高ですね。

細:春は友達に来てもらって、ここでお酒を呑むのです。

イ:日本酒はお好きですか?それとも焼酎?

細:日本酒が好きです。

イ:良いですね!

細:はは、では今度是非日本酒でも。(笑)


先祖に問うならば

イ:茶碗は一日何個作りますか?

細:精々60個ぐらいでしょう。でもね、早く挽けることはなんの自慢にもならないと思います。早く挽くと、一つ一つの作品がシンメトリックにしかならないのです、当然ながら。遅く挽くことによって、形が歪んだりして、面白いです。

イ:細川家の歴史は長いですが、細川家の人間で美術をやる人はいましたか?

細:やきものをやっている人は私が初めてですね。父と祖父は骨董が好きでしたが、中国のものを集めていました。だから、細川家は、細川幽斎や細川三斎など、大茶人はいますが、お茶の道具も良いものがたくさんあったのですが、父と祖父はそのようなものには関心が無かったですね。

イ:もし利休の弟子の三斎が今の細川さんの茶碗を見たら、どのように思われますかね。

細:いやー、面白い質問ですね。(笑)なんと云われたかねぇ。でも、すごく関心あります。「中々良いじゃないか」と云ってくれるだけで、それは嬉しいですよ。(笑)白州正子みたいな、そのような人が評価してくれたら、私はもっと一生懸命作りますね。

細川護熙
1938年 東京都生まれ。
1963年 上智大学法学部卒業、朝日新聞社 入社
1968年 朝日新聞社 退社
1971年 参議院 初当選
1983年 熊本県知事 (1991年まで勤める)
1992年 日本新党結成、参議院 再当選 
1993年 衆議院 初当選、内閣総理大臣 就任
1994年 内閣総理大臣 辞任 
1998年 政界を引退、神奈川県湯河原に住まいを移し、辻村史朗の下で陶芸を学ぶ



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